赴任して丁度1年が過ぎた国慶節(10/1)の連休は旅に出るぞと調べる。日本旅行のツアーにタクラマカン砂漠 を縦断し、砂漠でキャンプする企画が出たので飛びつく。 個人旅行を考えてはいたがタクラマカン砂漠はでか過ぎ移動距離が半端でない、砂漠の中で個人キャンプは無理。 田舎ほど外国人未解放地区が多く申請が面倒そう。 中国ではいつ何時出来なくなるか判らない思い立ったら直ぐ実行が鉄則。旅も行き難い所から先にと決めていた。 本企画もウルムチ暴動で翌年からは催行されず。
さすがに中国の西の端カシュガルはウイグル族の町と実感。’96年に仕事でウルムチに来た時も時差や郊外の 土漠を見て西域だと思ったが全く違う事が判った。 漢民族の比率も建物も交通も。国慶節(建国記念日)の気配は一切無い、彼らにとっては単なる休日でしかない。 但し、イスラムの断食月と重なり平常とは違うとの事。
カシュガルを離れホータンへと向かうと本格的な土漠・砂漠に変わってくる。それでも1時間も走ると森や畑が 有り川が流れる町が現れる。オアシスだ。 オアシスの印象は駱駝の商隊が水を飲む場と思っていたが、大小様々でホータンもオアシス町だが、通り抜けるには 30分くらいは要し水耕稲作も行われている大都市だ。 タクラマカンの大きさも桁違い。南のニヤを朝出発し北のクチャへの到着は夜。しかも走った砂漠公路は無料だが 完全舗装のハイウエーなのだ。 クチャ周辺の遺跡や地形を見ると、西遊記に出てくる妖怪が居て当然と思われる。現代人がそう感じるのだから 約1500年も前に来た三蔵法師は妖怪と戦いながら インドを目指したに違いない。天山山脈の北トルファンからウルムチへ向かうハイウエー沿いには現代の”風車” と言う妖怪が林立していた。
アクシデント連続の旅であったが、ツアー仲間と乗りきり”思い出”に変える事ができた事は幸いだった。 ”日本発のツアーでなく良かった”が添乗員からの一言。 1)夜の民家訪問 :道に迷って木製の橋の架かる川に、通るべきか引き返すべきか。全くの暗闇、素晴らしい星空と流れ星を見る事ができた。 2)ホータンの遺跡見学 :道が狭くバスが入れない。耕耘機とバイクの乗り合いを略奪(乗客に下りて貰った)し行ったが、これが遺跡。。。。只の小山 3)砂漠のキャンプ :バスがスタックしデフまで埋没。出発の朝、砂を掻き雑草を集めみんなで押して脱出できた。 4)クチャ発列車の遅れ :21:30発が02:30に5時間遅れ。二部屋確保し男女に分かれシャワーと雑談。お陰で日の出の雪の天山山脈を見る事ができた。