中国・蘇州新区のアパート周辺 2006年〜2010年
中華人民共和国江蘇省蘇州市での生活がサラリーマン人生最後の地となった。
1990年、40才誕生日の2日前に赴任した台北から20年が過ぎた。私自身も会社も日本も台湾も中国も、
そして地球自体も良くも悪くも大きく変わった。
1) 中国語も出来ずに赴任翌週。朝の8時過ぎ、気温は35℃超の時刻と気温を示す台北駅の電光掲示板を
見ながら思った、【何でこんな所に一人で居るのだ】と。
【何で】とは、一つは語学。漢字が有る国で良かった、書いたメモを渡せば切符は買える。もう一つは3月
下旬の事、日本では肌寒い事もある気候。
蘇州赴任では、街角で聞こえてくる意味の全く判らぬ蘇州語が気にならない。【判らないのが当たり前】と
悟れる。この悟りは【北京語の習得】か【年寄りの鈍感さ】か。
2) 1990年の台湾はスーパーマーケットやコンビニはほとんど無かった。【台湾ってどんな所?】が一般人。
【南方の土人の住む所】は酷すぎだけど。
今の蘇州にはスタバもピザハットも、【商業街】と称す数百mの通りには日本人相手の飯屋、スナック、
バーが乱立し、毎週の様に新装開店の花火が揚げられている。
今では中国人スタッフが台湾の会社へ出張ができるのだ。しかも、上海から直行便に乗って。中国や台湾観光
は2泊3日が数万円で全て込み込み。
1.居住区・・・新区・錦華苑
中国の都市部の住宅はアパート群(マンション群)が基本。規模やレベルはそれぞれ。
細い路地に面した一個建ての住居は旧市街の限られた地域にのみ残っているが、これも役人と業者が結託して開発、
そして、住民はアパート群に追いやられる。
私が住んだ所は、’90年代初期の未だ外国人が限られた場所にしか住めなかった時代に開発されたアパート群で
古さが気になるが敷地にゆとりが有り快適。
1フロアー4件で18階建てが7棟と1個建てが20件くらいの規模。敷地内には汚いけれど運河が流れ、テニスコートや
プールが。
冬は温水ラジエターで全室24時間、壁や床など部屋全体が暖まっているので、21℃程度の室温だが気持ち良い。
見栄えの良い新築も多いが、11月中旬から3月中旬
までのラジエター暖房と集中温水供給に勝るところは無かった。
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錦華苑(アパート)敷地内 |
部屋からの眺め(南) 第3棟が着工 |
部屋からの眺め(南) 黒屋根が一個建て |
部屋からの夕焼け(西の空) |
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