親父の実家の家屋が取り壊されるので、親戚が集まってお別れ会を。 昭和3年だったかに建てられた家屋なので約90年、戦時中は東京から疎開して来た親類縁者を含め 約30人が暮らしたそう。裏の離れも含め河川改修工事のダンプや重機搬入の為の道路拡張範囲内に なり立ち退きとなった。数年前に山側の畑に新築されたので従弟が家財道具の整理をして来て、やっと 解体の運びとなった様だ。 80〜90才を超えた叔父叔母や従弟が集まり、家の最後をみとり、食事会を。昔の写真や親父兄弟の 出征旗も出て来た。終戦当時、長男は数日後に硫黄島へ、三男は予科練から人間魚雷(回天)で出撃日が 決まっていたそう。私の親父は上陸用舟艇の乗っていたそうだが呉だったかで入院中だったそう。 一番年少の従弟がクラッシックギターを聴かせてくれた、何度もコンテストで優勝していたり、今でも コンサートを開いたりとプロ級の腕前。跡取りの従弟は合唱団の幹部で歌ってくれた。親父からは 伝わらなかった才能。
食後に河口湖へ向かった。明日は雨予報だったので、今のうちに富士山を見ておこうと彼方此方へ。 何処も外人(中国人が大部分)だらけで、ロープウエイは1時間待ちのアナウンスだパス。 翌朝、窓から富士山がバッチリ、予報が外れて良かった。 河口湖美術館前の駐車場へ駐車して湖畔を散策、【紅葉トンネル】を抜けたら【久保田一竹美術館】の 看板があったのでカミさんだけが見学、私は3年前に見ているので。美術館では【吉田博】の特別展が。 最後に【与勇輝】の人形を見て終了。富士山頂上に傘雲が掛かり、全天に雲が広がりだした。朝霧高原 付近で大雨、切上げ時が最適だった。